† シモン・ペトロ
Simon Peter (?〜A.D.64〜68頃)
(ペテロ)、ケファ(ケパ)、バルヨナ(ヨハネの子)
初代ローマ教皇。十二使徒。ベトサイダ出身ガリラヤ湖の漁師シモン。ヨハネ、大ヤコブと共にイエスにつき従う初期キリスト教の中心人物のひとり。十二使徒でも常に筆頭に上げられ、イエスによって「あなたはペトロ(岩)。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。(マタ16:18)」、三度繰り返して「わたしの羊を飼いなさい(ヨハ21:15)。」などと言われ、また最初に信仰を告白した(マタ16:16)ことから十二使徒や司教の首位にあると云われ、初代ローマ教皇とされる。イエスに熱を癒された姑がおり(マタ8:14)、「ケファのように、信者である妻を連れて歩く(一コリ9:5)」と書かれていることから、結婚していたと思われる。
兄弟のアンデレと共に湖で網を打っている所を通りがかったイエスに「人間を取る漁師にしよう(マタ4:19)」といわれ拾われた。また、洗礼者ヨハネの下からイエスに従ったアンデレの導きによってイエスに従うようになったとも云われる(ヨハ1:41)。常にイエスに伴われ、弟子たちを代表してイエスと応対する。
祭司長やファリサイ派によってイエスが捕らえられそうになった時には、手元の剣で斬りかかり、大祭司の手下マルコスの右の耳を切り落とした(ヨハ18:10)。しかし、イエス処刑の際には「あなたは今夜、鶏が鳴く前に、三度わたしのことを知らないと言うだろう」というイエスの言葉の通り、罪人イエスとの関係を三度否定する。それを悔いて回心し、イエス復活の際には女たちの後に空の墓を覗き、イエスの愛した弟子と共に復活の証人の一人となる(ルカ24:12、ヨハ20)。
その後も使徒の長として熱心に活動し、ヘロデ王(アグリッパ)によって投獄されるなど迫害を受けながらも教会の育成と信仰に務めた。パウロと共に二大使徒と呼ばれ、異邦人への福音が任されたパウロに対し、割礼を受けた人々(ユダヤ人)への福音が任されたと云われる(ガラ2:7)が、コルネリウスを初めとする異邦人に対して初めての洗礼を授け(使徒10:44-48)、後の使徒会議(A.D.48)において無割礼での入信を認める発言をする(使徒15:7-11)のもペトロである。
皇帝ネロの時代(位A.D.54〜68)、パウロに続いてローマに向かい、かつてサマリアにいた魔術師シモンを打ち負かしたが、女性に夫との不浄な関係を絶つように諭したとして長官アグリッパや皇帝の友アルビヌスの不興を買ってしまう。仲間の勧めでローマを逃れようとしたところ、逆にローマに入ろうとしていた主を見つけ、「主よ、どちらへ行かれるのですか?」と問いかけると、主は「再び十字架にかけられるためにローマへ入る」と答えた。その言葉によって悔い改めたペトロはローマに戻って処刑されたと云う。その際、人間の堕落を表し、またイエスと同じ十字架刑は畏れ多いとして、頭を下に向けて逆さまに十字架に架けられて処刑されたと伝えられる(ペトロ行伝)。
- ペトロはギリシア語で岩の意。本来はアラム語で同じ意味を持つケファ(Cephas)と呼ばれた(ヨハ1:42、マコ3:16)。名付けるなら「岩のシモン」といったところか。
- 信仰主義のパウロや律法主義のヤコブに比べ、パウロに非難された(ガラ2:11-14)ように、ペトロには新ユダヤ教的、中庸的な面があったようだ。異邦人洗礼によるユダヤ人信徒の反発からエルサレム教会での指導者としての地位を失い、異邦人伝道に力を尽くすようになってからは信仰的にはパウロに近づいたとも言われるが。
- 聖書中に『ペトロの手紙一・二』が含まれるが、いずれもペトロより後代に偽名で作られたと思われる。また、外典として『ペトロ福音書』『ペトロの宣教』『ペトロ行伝』『ペトロの黙示録』などがあるが、いずれも権威付けの為に名前を使われたようだ。
- 「わたしはあなたに天の国の鍵を授ける〜(マタ16:19)」と言われたことから鍵は天国と地獄の門を開閉するペトロの象徴であり、ローマ教皇の紋章やヴァチカン国旗の内にも三重冠と共に描かれる。
- ヴァチカンのサン・ピエトロ(聖ペトロ)大聖堂はペトロの墓とされた場所に建てられている。また、その頭蓋骨はパウロの頭蓋骨と共にサン・ジョバンニ(聖ヨハネ)・イン・ラテラノ大聖堂の祭壇に納められている。
教皇コルネリウスの頃(位A.D.251-253)、ギリシアの信徒がペトロとパウロの遺骨を盗んだが、雷鳴が起こったか、あるいは追跡に慌ててカタコンベ近くに遺骨を置き去りにしていった。信徒たちの祈りに応えた天からの言葉によって、大きいほうをパウロ、小さい方をペトロの遺骨としてそれぞれの教会に納めたという伝説がある。また、教皇シルウェステル(位A.D.314-335)が両教会を聖別しようとした時、大小二つの遺骨を一緒に秤に乗せ、半分ずつそれぞれの教会に安置したという話もある。
叙事詩『ローランの歌』で騎士ローランが持つ剣デュランダルの黄金の柄には3つの聖遺物と一緒にペトロの歯が納められているとされる。
- ペトロが逃げたアッピア街道には、「主よ、どちらへ行かれるのですか?(ドミネ・クォ・ヴァディス(Domine quo vadis?))」という言葉に因んだドミネ・クォ・ヴァディス教会(公称サンタ・マリア・イン・パルミス(Santa Maria in Palmis))が建てられている。
- Tを逆さにした形をペトロ十字と呼ぶ。
- 標章は、十字架、天国の鍵、魚、雄鶏。信仰の啓示として明るい黄色のマントが描かれる事もある。漁師や船員、錠前作りや鍛冶屋、時計職人、屠殺業者などの保護聖人。天候の支配者、天国の門番。
- 殉教の祝日は6月29日(パウロと同じ)。他に1月18日にはローマ、2月22日にはアンティオキアに教座を定めた記念日として祝う。
- 結婚していたペトロには、ペトロネラという娘がいたという伝承もある(殉教者聖ペトロネラ(フランスの保護聖人))。また、『教会史』(クレメンス)によれば、妻が殉教する時、妻に向かって「神を忘れるな(Mement Domini!)」と叫んだと云う。
- 『偽クレメンス文書』によれば、ペトロはパンにオリーブを添えて食べ、トゥニカとマントだけを着ており、イエスといた喜びと主を否認した後悔とで涙を流し、また、鶏の鳴き声と共に起きて祈りを捧げては激しく泣いていたため、顔は濡れてただれたようであったと伝えられる。
- 神への愛に燃えていたとされる人で、後世のアウグストゥスやクリュソストモスは、最後の晩餐でイエスが裏切り者の名を明かしていたら、飛び出して殺していただろうと述べている。
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