バルトロマイ (Bartholomew)
(?〜?)
十二使徒。共観福音書(『マタイ』『マルコ』『ルカ』)と『使徒言行録』に十二使徒の一人として登場する。『ヨハネ福音書』にはバルトロマイが登場せず、ガリラヤのカナ出身のナタナエルが登場することから、バルトロマイを姓(父名)、ナタナエルを名とする人物とされる。弟子になる以前については語られていないが、復活したイエスが七人の弟子の前に現れた際、ナタナエルは他の弟子たち共に漁に出ていることから、同じく漁師だったのではないかとも思われる。(ヨハ21) 『黄金伝説』におけるインドの偽神の言葉によれば、髪は黒くて縮れ、肌は白い。眼は大きく、鼻筋は通っており、髭は長く少し白いものが混じっているが、体つきは均整が取れている。緋色の縁飾りのついた白い衣と、垂れひだに緋色の宝石を縫い付けた白いマントを羽織り、同じ服と靴を26年間着続けているが、古くなることも汚くなることも無い。天使たちが付き添っているので、疲れたり飢えたりすることもなく、いつもにこやかで、心は晴れやかであり、全てを予め見越しているのだという。 ナタナエルは、フィリポによってイエスに導かれ、イエスに「見なさい。まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない。」と言われた。フィリポと出会う前にイチジクの木の下にいたことを言い当てられ、イエスに従うようになる(ヨハ1:45)。 イエスの死後は、インドに渡り、その土地の王ポリミウスの頼みにより、悪霊に取り憑かれた夢遊病の王女を癒し、更にこれまで王が崇めていた偽神がみずからの像を打ち壊し、黒いエティオピア人の姿を現すのを見せることで、王は王族や民衆と共に洗礼を受けると、国を捨てて使徒に従った。怒った偽神の祭官と王弟アストラゲスに捕らえられたが、王の崇める神バルダクの像も打ち壊させたため、怒った王弟に棍棒で打ちのめされた上、皮を剥がされて殉教した。遺体は弟子たちによって持ち出され、手厚く葬られた。 王弟アストラゲスと偽神の祭官は悪霊に取り憑かれて死に、王ポリミウスは司教に任じられて二十年を勤め上げ、安らかに永眠したという。また別にエジプトのオアシスで布教したという伝承もある。 バルトロマイの最後については伝承は複数あり、福者ドロテオスによれば、インドで宣教した後、大アルメニアのアルバノポリスで逆さまに磔刑に処せられたという。また、福者テオドロスによれば小アジアのルカオニアからインド、大アルメニアのアルバノポリスで伝道し、この地で生皮を剥がされた上、首を刎ねられたという。そこで『黄金伝説』では、つじつまを合わせるために、十字架に架けられ生きているうちに生皮を剥がされて首を刎ねられたともされる。 (1) バルトロマイは、アラム語の「バル・タルマイ(タルマイの子)」のギリシア語音写。 (2) ナタナエルは、「神は与えたもう」の意であり、実在の弟子ではなく、弟子の理想像とする説もある。また、カナの出身であることから、カナの婚礼の婿だとする伝承もある。 (3) 皮を剥ぐためのナイフと剥がされた皮を標章とし、ナイフと皮や、『福音書』と『行伝』を書いたとされることから書物を持った姿でも描かれる。ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂にあるミケランジェロの『最後の審判』では、剥がされた皮にミケランジェロの顔が描かれている。皮膚病や痙攣、神経病を癒し、手袋や靴などの皮革業、装丁業、食肉業、毛皮商人、葡萄栽培業者などを守護する。 (4) ラビがいちじくの木の下で教えを与えていた習慣から、ナタナエルが律法に忠実であったことを意味すると云われる。 (5) 祝日は8月24日。ギリシアでは6月11日、アルメニアでは12月8日と2月25日、コプト教会とエティオピアでは6月18日と11月20日。 (6) 遺体はインドで埋葬されたが、奇跡を起こして崇敬を集めていたため、他の四人の殉教者と共に海に投げ入れられた。鉛の棺に入れられたバルトロマイの遺体はシチリア地方のリパリ島へ流れ着き、パピヌスはシチリアのミュラエ、ルキアヌスはメッシーナ、グレゴリウスはコルムナの町、アカティウスはカーレの町にそれぞれ辿り着いたという。 その後、831年にサラセン人がシチリアに侵攻した際、サラセン人は聖遺骨を撒き散らして去っていった。バルトロマイが夢枕に立ったのを見た修道士が、なぜ守ってくれなかったのかと問うと、バルトロマイは島の罪が使徒でもとりなしができないほどに大きくなってしまったと答えた。バルトロマイが炎のように光っている骨を集めるように告げたので、その修道士は骨を集めてベネヴェントに運んだという伝説があるため、ベネヴェントの住民は遺骨がその地にあると信じているという。 聖遺物は、東ローマ皇帝アタナシウス一世(位491-518)のときメソポタミアのダラスに、580年頃に(一部?)リパリ島に、838年頃サラセン軍侵攻の際にベネヴェントに、983年にはオットー三世によってローマのティベレ川の中州・イソーラ・ティベリーナにある聖バルトロメオ教会に移された。その後、頭蓋骨だけは1238年ドイツのフランクフルト市の聖バルトロマイ大聖堂に移されている。 (7) アルメニアの守護聖人。 (8) 外典に5〜6世紀頃成立したとされる『バルトロマイ行伝』と、『ゲラシウス教例集』によって偽書とされた『バルトロマイによる福音書(バルトロマイの質問、バルトロマイの黙示録)』がある。 (9) 中世、悪霊や悪魔はサラセン人、エティオピア人、ムーア人、フン族などの姿で想像された。 |