スカンデル・ベグ (Skenderbeg)
(1403〜1468)
本名ゲオルギ・カストリオタ(George Kastriota)、トルコ名イスケンデル・ベイ(Iskender Bey)。アルバニアの民族的英雄。 1403年、北アルバニアの豪族ギオンの第四子として産まれる。1430年頃、父ギオンがオスマン・トルコの宗主権を認めたため、慣習に従って兄達と共にその人質としてオスマン・トルコの首都エディルネの宮廷に預けられ、そこでイスラム教に改宗。デウシルメ制度の中で侍従として仕えたが、その武勇の才能を認められてアレクサンドロス大王にちなむイスケンデルの名を与えられ、サンジャク・ベイ(郡長)として従軍した。 1435年〜36年のアルバニア討伐戦では故意に働かず、翌年父の領地にティマール(軍事封土)を与えられてスィパーヒ(騎士)として帰国した。 1443年、トルコ軍がニシュでハンガリーのフニャディ・ヤノーシュに敗れたのを機に腹心と共に脱走。アルバニアに帰国して反乱軍を組織すると、キリスト教に再改宗してアルバニア諸公連盟を結成。ほぼ全土がトルコ領となっていたアルバニアで抵抗運動を繰り広げ、北アルバニアを統一した。以後、教皇やベネチア、ナポリの援助を受けながらも二十五年に渡って激しい抵抗を続け、国土のほぼ全土をトルコから守った。 しかし、1466年、休戦条約の締結を強要され、更にゲリラ戦に訴えるが、熱病により病没した。 その後、アルバニアはオスマン・トルコ皇帝メフメト二世によって再併合された。 赤地に双頭の鷲というアルバニアの国旗は、イスケンデル・ベイがアルバニア人を「鷲の子孫」と呼んで用いた軍旗であり、民族衣装や国旗の双頭の鷲にその名を残している。 |